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久保田洋一のブログ
いつもどおりですが、気まぐれに書いていきます。2009年10月1日からfc2で再開しました。
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時代は変わる YTさん告別式110622(水)
時代は変わる YTさん告別式110622(水)

 朝、YTさんの告別式に行ってきました。久保田が以前勤めていたTK研究所の元所長です。6月18日朝亡くなりました。

 もう60年も前の話ですが、かつて京大天皇事件という出来事があり、その時の全学連委員長だったという話は、久保田が勤めはじめた1978年に聞いていました。当事者の一人だったという中岡哲郎さんの書いた書物をいくつか読んで、社会に目を向けることはどういうことかと感心したことがあります(「技術と人間の哲学のために」などの著書があります)。

 会社は総合シンクタンクという呼称を目指していました。昭和30年代後半の高度成長期から、徐々に仕事が増え、万博公園、関西国際空港、関西文化学術研究都市、琵琶湖総合開発など、関西のビッグプロジェクトに関する政策提言をしたり、関連地域整備の調査や計画づくり、市町村の総合計画、交通計画など、さまざまな仕事に関わっていました。

 大学の先生とのパイプも太く、当時の花形だったのでしょう。実際に能力の高い人が集中していました。重鎮と言われる方々は、満鉄調査部の出身だったり、風船爆弾の開発に関わったり、経歴は表に出なくても優秀な人材がそろっていたようです。それらの人材をまとめていたのが、YTさんでした。

 しかし収入の見込みがないのに東京進出をしたり、沖縄事務所、名古屋事務所など、矢継ぎ早に拡大路線を走ったこともあり、TK研究所は1983年6月に倒産。破産申請をして次の年1984年1月に破産廃止となり、消滅しました。

 久保田は6月の倒産の現場に居合わせていました。東京から戻ってきた所長との交渉、暴力団の排除から始まり、それ以降、未処理の仕事の納品、銀行の預金確保のための内容証明作成、所員やアルバイトへの未払い賃金の支払い、管財人との交渉、仕事をもって出て行った事務所長との交渉、元役員との交渉、ビルオーナーとの交渉、立ち退き裁判など、様々な経験をさせてもらいました。

 久保田は後ろの方で山のにぎわいになっていたのですが、全国で100名ほどいた職員で後始末に関わる者は、半年後には大阪と京都からの10名ほどになり、1984年4月に今の会社で再出発したときは8名になっていました。それがもう27年以上も前のことになります。

 告別式に戻ります。奥さんがカトリック信者だったこともあり、参列者の半数25名ほどが教会の関係者でした。久保田元上司の東京のSJさん、UDさんが来ていました。安藤さんが連絡したTYさんが連絡したらしいです。久保田元同僚のMRさん、NTさんも参列。仕事関係は安藤さんが連絡した方だけでした。奥さんからの知らせは安藤さんだけだったようです。

 もし会社が倒産していなければ、500名を超える人がきていただろうなあと、勝手に考えていました。そのくらい人脈にあふれた憎めない人だったのです。晩年は奥さんが暮らしを支えていたのでしょう。

 久保田にとって、一つの時代が終わりました。久保田が今の仕事に関わるきっかけを与えていただいたYTさん、高度成長期を走り抜けて、周囲に多くの迷惑を与えながらも、家族に愛された個人として、黄泉の世界へ行かれました。ありがとうございました。

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