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久保田洋一のブログ
いつもどおりですが、気まぐれに書いていきます。2009年10月1日からfc2で再開しました。
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北野からハーバーランド
北野からハーバーランド 28日(金)

 神戸の船に乗ろうとでかけました。新神戸からハーブ園に行こうとしたら、なんと休園中。ロープウェイの取り換えのようです。で、新神戸の上の山を歩いて北野へ。オーストリア館、デンマーク館、オランダ館の3つをめぐり、北野工房のまちを経て、ハーバーランドへ。

 コンチェルトという船に乗り、1時間ほどのクルーズをしました。明石海峡大橋は先日も行ったのですが、また海上から眺めることになりました。最近の観光地は、かなりホスピタリティが向上している感じがします。景色がよいとか、食事がおいしいだけでなく、人のもてなしの心がやはり大切なのでしょう。

 最近は観光の仕事もしていないのですが、いつのまにか世間は進んでいるという印象をうけました。外国からの観光客もかなり増えていて、これも不思議な感じで、時代の変化を感じてしまいます。

 外へ出かけよう。

新神戸駅に止まる新幹線
 新神戸駅にとまる新幹線を山から見おろします。

新神戸駅の上は災害危険区域
 新神戸駅の上は災害危険区域の山です。土石流危険渓流という看板がありました。

北野異人館街
 北野の異人館街も移り変わりがあります。でもヒューマンスケールなところは変わりありません。

売りに出ているお店も多い
 北野のまちも空家が増えている様子でした。

北野工房のまちも様変わり
 北野工房のまちも、店がかなり変わっていました。

コンチェルト
 乗船したコンチェルトという船です。2000トン以上もある船です。

明石海峡大橋
 船から見る明石海峡大橋です。目立っています。

造船所
 和田岬には三菱重工のドックなどが集積しています。潜水艦の修理もしていました。最近は「工場萌え」ということでファンが多いそうです。

歴史的建造物が地下鉄駅
 神戸地下鉄の「みなと元町駅」です。旧第1銀行神戸支店の正面を保存して、駅の一部にしています。



  

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明石大橋から塩屋まで歩きました
明石海峡大橋から塩屋まで歩きました。1月23日 (28日記)

 少し話が戻りますが、先日23日(日)、明石海峡大橋から塩屋まで歩きました。

 舞子公園からすぐ近くにある大橋の道路の下には、展望施設があり、300円で上ることができます。できれば橋の上に行きたかったのですが、それはできません。残念。オーストラリアのシドニーの橋は上に登るツアーがありましたが、可能性はないかなあ。

 孫文記念館や移設された歴史的住宅の横を通って、砂浜沿いに東へ歩き、神戸マリンピアの複合施設へ。食堂や衣料品などの店が連なり、かなりの人出がありました。イタリアンパスタの店で昼食。

 その後さらに東へ歩きます。磯浜の垂水下水処理場には、ビオトープや芝生広場、スポーツ施設があり、これもにぎわっていました。遊歩道も1.5キロ以上にわたって整備され、ランニングする人や犬の散歩をする人が多かったです。恋人岬という場所もありましたが、あれは完全に名前負け。フランスのアヌシーにある「愛の橋」のような雰囲気がほしかったです。

 しばらく行くと、塩屋駅近く、海辺のマンションの1階にあったレストランが売りにでていました。このレストランは、かつて20年以上前に、話題の店舗として久保田が調査に来たところです。時代は変わる。

 塩屋駅から帰宅。最近土日の仕事がない時は、連れ合いと出かけることも増えてきました。幸せなことです。ありがとう。

明石海峡大橋は大きいです
 明石海峡大橋は大きいです。

舞子海上プロムナードです
 舞子海上プロムナードというのが大橋の橋げたの下にできています。芸術的な雰囲気がします。

周辺は大橋をシンボルとして整備が進みます
 大橋の周辺は次第に整備が進んでいます。つり橋を見ると、かつて強風で落ちた「タコマ橋」の映像を思い起こします。

マリンピア神戸はにぎわっていました
 マリンピア神戸はとてもにぎわっていました。

マリンピアからみた大橋
 マリンピアから見た大橋です。スマートな橋です。

垂水下水処理場のビオトープ
 垂水下水処理場の処理水でビオトープができています。この先に恋人岬という場所がありました。

恋人岬は広かったです
 恋人岬です。広いです。広いだけという感じでした。

垂水下水処理場は大きいです
 垂水下水処理場は大きいです。海岸線に沿って2キロ弱ありました。施設の上に公園がつくられています。

平磯緑地は長いです
 市街地との間は遊歩道のある、平磯緑地というものが続いています。散歩する人やランニングする人が多かったです。

レストランシーサイドクラブパレス塩屋
 かつて、25年ほど前に調査した「シーサイドクラブパレス塩屋」は、オープンハウスとして売りに出ていました。結婚式もできたきれいな施設でした。


ワークショップは震災から
ワークショップは震災から 1月28日記

 16年前の阪神淡路大震災の後は、仕事が猛烈に忙しくなりました。京都の住宅地を改善するための調査が始まったのです。なんと1回目の委員会が1995年1月19日。震災の2日後でした。久保田は行けませんでした。結局仕事をくれたKさんが車で1時間かけて出席してくれました。

 落ち着くまで、数カ月。その後1週間に1回、京都に通う日が続きました。住み込んだ方がよかったかなとも思えるほど、もどかしいこともありました。データ整理や現地調査、権利関係の調査など、作業も多く、1年目、2年目は慌ただしく過ぎました。住宅地区改良法を目標にしつつ、住民のリーダーの方々に理解していただくことが重要でした。そして信頼してもらうことが重要でした。戸別の立ち入り調査は事業の緊急性を再認識することになり、作業も急がれました。

 3年目、1997年に入り、ようやくワークショップができるようになってきました。本では勉強していましたが、どんな進め方があるのか、不安がありました。

 当時関西でワークショップをしている人は、限られていました。知人を介してそのメンバーにまず話を聞きに行きました。西村仁志、川島憲志、高田研。この3名の方々は久保田のワークショップの先生です。実は彼らは三田市内の関学千苅キャンプで行なわれていた、千苅ミーティング実行委員でした。それで久保田もその後ミーティングに参加して、多くの刺激を受けました。それ以来、5回ほど参加させていただき、この体験と、知り合った人達が久保田の財産になっています。

 彼らに協力していただき、ワークショップは3年間ほど継続し、かなり円滑な話し合いが進むようになったと感じています。以来、他のまちづくりの現場でワークショップを提案し、次第に実施されることも増えてきました。

 その頃進め方のルールなどは多様だったのですが、分かりやすいものを考えたいと工夫して、今の5つのルールを決めました。いわく「知り合う」「リラックス」「つぶやく」「聞き合う」「批判しない」。これが14年間今まで変わらずにきています。今のところ分かりやすいのです。

 ワークショップは事件に関わる思い出もあります。

 1997年8月31日、京都から車で帰宅途中、ラジオでダイアナさんが亡くなったことを報じていました。

 2001年9月11日、兵庫県播磨町の山陽電鉄のホームで帰宅途中、連れ合いからのメールで同時多発テロを知りました。ワークショップの日の事件は、闇の中でけっこう鮮明に記憶に残っています。

 



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ワークショップに参加
22日(土)ワークショップに参加してきました

 22日は、大阪府下の川のワークショップにでかけてきました。仕事ではなく、参加者の一員だったので、とても気分が安らかだったです。仕事でワークショップするのと違い、こんなに気楽でいいのかなと考えてしまいました。

 考えてみたら、仕事以外でワークショップするのは、ほんとに久しぶりでした。それでも人工的な川に自然を取り戻すには、かなり人工的なことをしなければならず、先は長いのです。でも良い方向に進みそうな予感があり、気分よく帰ってきました。

 こんな日もあるのです。夜はつれあいとマッコリを少しだけ飲んで、気分良くおやすみなさい。おつきあいいただいたみなさん、ありがとうございました。
  
河川レンジャー
河川レンジャー 2011年1月21日(金) 深夜記

 何回も書いていますが、淀川管内河川レンジャーという制度の、代表者会議に参加しています。一応学識経験者という名目です。10年前の2000年に、八幡市で実施した「川に学ぶシンポジウムin近畿」の事務局をしていたことや、ワークショップを続けていて、淀川関係の住民参加の討論会の進行役をしたことなども理由かもしれません。しかし知り合いのコンサルタントには、討論会の開始以前に、久保田の素性についての問い合わせがあったとのこと、やはり国土交通省は違うなあと感じました。悪いことはできません。

 河川レンジャーは、川に関する行政と市民の橋渡し役というもので、アメリカの自然公園のレンジャーとは異なり、川の市民活動をリードまたは支援するもので、活動は不定期です。活動には1カ月に5万円程度の謝金が出ます。毎年数名の河川レンジャーが生まれています。

 一緒に会議に参加している片寄先生は、権威も実力もある制度にしたいと言います。それこそ川の保安官みたいな、川を熟知したオールマイティなレベルを想定しているのだと思います。なるほど。久保田は軽い気持ちで、いつでもやめられる制度くらいを考えていましたが、高い理想を実現させるくらいの気合のいれ方が必要なのでしょう。

 17日は、河川レンジャーの任期が4年であったことなどから、その連続した活動の可能性についての議論でした。河川レンジャーの方々も、それぞれに個性があり、協力して取り組むことで、一人のオールマイティを実現させることが可能であると考えています。前向きの議論が継続されることを期待したいです。

 なんか第3者的な話になってしましましたが、けっこう気を使っています。試験があるので、点数をつけるのは難しいのです。しかし応援団としてできるだけ関わっていこうと考えています。

 そういえば、久保田が所属するまちづくり協議会の役員任期も、3年前から4年になっており、久保田は今年2011年の5月で副会長を退くことになるのですが、評議員から、4年の任期をやめようという提案もあって、うう。どうなるかなあ。一般の委員になって、水辺やトンボの活動に集中したいのですが。。

 今日は大阪市内のマップづくりの打合せ。ばたばた準備してでかけました。写真の整理がたいへんです。
そういえば、昨夜は、知り合いの魚の先生あてに、昔の淀川の写真を送りました。実は、久保田の連れ合いが十三の生まれで、小学校の1学期まで木川というところに住んでいて、淀川の干潟でシジミ取りをしていたのです。

 また話は変わりますが、知人の安田さんが、建築についての話をたくさんブログに載せているので、大したものだと感心しています。この話もまたしたいです。

 くたびれたので、今日は中途半端でおしまい。

01阪和貨物線跡地
 阪和貨物線の跡です。南禅寺の水路閣に似ていませんか?きれいにすれば、歴史的価値がでるような気もします。

02阪和貨物線跡地の上部
 阪和貨物線跡の上部です。ちょっと失礼して撮らせてもらいました。すいません。

平野川
 平野川です。ようへきは緩やかですが、落ちたら危ないです。生き物にはあまりよくない感じです。魚が逃げる場所がほしいです。

十三干潟とつれあい
 突然ですが、1960年頃、淀川の干潟の写真です。阪急十三駅の北側です。右奥にはできたばかりの淀川区役所、左の奥には武田製薬の▲マークがみえます。
家庭教師
家庭教師はじまりフランスの精算終了  

 下の子が、甥っ子に算数などを教え始めています。久保田の家に夜の9時にやってきて、10時半くらいまで勉強しています。下の子は理工学部に行っており、算数は得意みたいです。週2回駅近くの学習塾でアルバイトもしています。先日は生徒がセンター試験とのことで、気になっていたようです。久保田は夜、車でお迎えしています。

 ということで、甥っ子を相手に家庭教師を始めたわけです。姉ちゃんが給料を払うと言うので、もらうことにしたようですが、久保田の家に来ると、親二人が何かとサービスするので、結局お金の収支はマイナスになるのです。まあ予想されたことですが、仲のよいことでなによりです。継続すべし。

 昨年9月にフランスに旅行に行った際の精算をようやくしました。個人事務所の経費にしたいのですが、これは無理。あきらめます。3人で115万円くらいかかったのですが、予定よりは少なめでした。昼食を朝のパンやおかずの残りで済ませる事が多かったので、そんなものでしょう。レストランの食事は量が多く、かえって負担だったので、ちょうどよかったです。連れ合いに感謝と拍手。

 しかしフランス人の昼食は、50センチほどもある「カスクート」みたいなもので、これもびっくりでした。脂肪の燃焼効率が高いのかなあ。列車の中でかぶりついている姿を2回見ました。

 連れ合いは定年退職したら、どこかにビジネスクラスで行きたいなどと言い始めています。久保田は貧乏性だよ。でも行けたらいいから体大切にね。

 朝、仕事を休んで車の車検にも行ってきました。右のブレーキランプが消えていたそうです。自分の車のことはなかなか分かりません。

 では。

アヌシーの橋 愛の橋
 9月に訪問したアヌシーの 「愛の橋」です。「恋人たちの橋」かも。

アヌシーの愛の橋 拡大
 フランスの橋は芸術的なものが多いです。観光客も多かったです。



まあまあが続いています
 まあまあが続いています。今は1月18日深夜です。

 11月に人間ドックに行って、胃潰瘍と診断されたので、薬をのんでいます。胃カメラの写真では、一部に白いところがあり、赤い血も見えたので、摂生しなければならないと感じました。

 ピロリ菌の影響らしいのですが、自覚症状はありません。でも一応、お酒も控えて、辛い物も控えています。 先週からピロリ菌の薬を飲んであと3日、もう少しで終了。その後継続して別の薬を飲んで、2ヶ月後に胃カメラを飲む予定です。結構長くかかるものです。

  昨日の震災16年めは、川の仕事で、枚方と大阪市内の2箇所で会議。震災の話題が出ないのは大阪ならではです。16年前も、大阪まで行くのに阪急電車が動かなかったため、JRで通っていましたが、委託先は震災のことなど、何も感じていないようで、違和感がありました。今回も会議で震災の話題はありませんでした。ううむ。
 
 ということで、仕事もぼちぼちしか進まず、気合いを入れなおさなければなりません。外へ出て、元気をもらいましょう。ファイティン。

自宅前110117
 阪神淡路大震災から16年目、1月17日の朝、自宅前の様子です。昨日からの雪が残っていました。今日18日はすっかりとけてほっとしました。


 
仕事から離れた土日
 今日は1月16日。久しぶりに仕事もない土日を過ごしました。

 昨日は、映画を見に西宮ガーデンズへ。連れ合いが「相棒」を見たいというのです。夫婦で50割というのがあって、2人で2000円なり。激しいシーンもありましたが、面白かったです。

 帰りに何かをごちそうしようかと思いましたが、結局家に野菜がたくさんあるので、逆瀬川のコーヨーというスーパーで魚を買って、歩いて家に帰り、鍋で夕食。最近はこんな感じで外食はしなくなりました。お酒も食事も家がいちばんです。

 昨年末から、食事制限をしているので、お酒は控えて、辛い物も控えています。そのせいか、足が冷えるようになってきました。年のせいかもしれませんが。それで先週にたんぽを購入。これが快適です。そういえば尼崎の湯たんぽも最近ブームになっているらしいです。昔を思い出します。

 今日16日は、極めて寒かったです。なんとお湯が出ません。トイレの水も出ません。つれあいはわーわー言うのですが、久保田はそのうち出るとクールに対応して、また夫婦でこぜりあいがありました。結局、外の湯沸かしのパイプにお湯をかけて、タオルを巻いて、トイレを温めて、しばらくしたら出るようになりました。一安心。昼は都道府県女子駅伝をみながら掃除。

 しかし、ここ20年で一番寒い日だったような気がします。水が出ない経験は震災以降、しばらくありませんでした。パイプの断熱をしておこうかなあ。

 明日は朝から追悼集会に参加する人も多いのですが、仕事もあるので参加はせず、食事時に、お祈りをします。久保田の下の子どもが通っていた保育所の、1年上の子どもと、久保田と一緒に役員をしていた、その子のお母さんが無くなり、お兄ちゃんと双子の弟が残されました。その弟たちもやがて成人。

 あの時から16年目の朝は、あの時と同じように、とても寒い朝になりそうです。

気温マイナス1.3℃
 1月16日(日)朝8時の外気温はマイナス1.3℃でした。6時は恐らくマイナス3℃くらいだったかも。


震災から16年
 もうすぐ震災から16年です。このブログでも1年前に書いているみたいですが、久保田自宅の被災状況をごらんください。水を備蓄していて、よかったです。精神的に「ハイ」な時がしばらく続きました。

自宅被災外壁です
 外壁です。下部にコンパネを自分で貼りました。ブルーシートをあちこちにもらいにいきました。

自宅外壁を見上げます
 外壁を見上げます。1階部分のモルタルがはがれました。コンパネを貼っていますが、当初はすきまがあり、当日は内と外で握手していました。

戸袋が落下
 戸袋が2箇所で落下して、雨戸がむき出しになりました。重かったです。

ガラス戸が開かなくなりました
 ガラス戸が壊れて開かなくなりました。この状態が6月まで続きました。すきまを新聞紙で埋めています。
寝屋川源流ハイク
寝屋川源流ハイク110109日 (1月11日記)

 毎年正月の第1または第2日曜は、寝屋川源流ハイクという催しがあります。久保田は2年ぶりに参加しました。
東寝屋川駅に9時集合。スタッフ参加者合わせて葯50名。ねや川水辺クラブの引率で4つのグループに分かれてそれぞれ出発。一般のハイキングコースではない隠れたコースを歩きます。

 東高野街道を経由して高良(こうら)神社で準備体操。久保池という寝屋川市の飛び地や星田の住宅地を通り抜けて、星田新池で小休止。いつもねや川水辺クラブが間伐をするコースの反対側を登ります。途中フユイチゴの群落で赤いイチゴを賞味。昔の修験の場所(?)などを経て、聖の滝へ。ここは毎年観音様に服を着せています。もう少し登って12時前に昼食開始。恐らく100年ほど前に作られた、昔の土を固めた砂防堰堤(土塁)が残っています。その解説もありました。この土塁は今でも、土砂の流出防止に有効に機能しているようです。

 昼食後は少し登りがあり、あとは尾根筋を歩きます。やがて下りになり、「宗円ころり」という急坂を下って3時前に南星台に下山。水辺クラブの佐々木さん夫婦が温かいお茶を準備してくださり、ほっとしました。久保田は百合の種を取りたかったのですが、今年はあまり残っていませんでした。

 山の上では源流の大切さについての話や、人工的につくられた市街地が、災害発生の要因にもなっていることなどの説明がありました。参加者にどの程度伝わったでしょうか。でも源流の大切さはくりかえし伝えていくことが必要なのでしょう。

 今回で10回目の源流ハイク。無事終了してなによりです。ありがとうございました。

東寝屋川駅前に集合。出発は9時25分でした
 東寝屋川駅に集合。葯50名です。

寝屋川の飛び地である久保池の解説板
 寝屋川市の飛び地である久保池の解説板です。団地の公園になっています。

星田新池は改修が終了して堤防幅が2倍に
 登り口である星田新池の堤防です。改修が終わっています。

途中でフユイチゴの群落に。おいしかったです。
 登山道の途中にあるフユイチゴの群落です。おいしかったです。

聖の滝は修験者が出てくるような雰囲気です
 聖の滝です。夏でも涼しい風が吹いています。

聖の滝にある観音様に毎年着替えをします
 聖の滝の下にある観音様です。毎年着替えをしています。ご本尊はかなり老朽化しています。

明治時代につくられたと思われる土塁です
 明治時代から昭和初期に作られたといわれる土塁です。交野市内に39か所あります。およそ6割が今でも防災機能を果たしているそうです。

下りの難所「宗円ころり」
 下りの難所「宗円ころり」です。坊さんが滑ったといういわれがあるのかないのか。とにかく滑りやすい場所です。

無事下山してお茶で一息
 無事下山してほっと一息。かなり暖かい日で快適でした。


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