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久保田洋一のブログ
いつもどおりですが、気まぐれに書いていきます。2009年10月1日からfc2で再開しました。
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フランスのトラムと阪堺線
フランスのトラムと大阪の阪堺線 11月29日(月)深夜記
 
 それにしても、フランスのトラム(路面電車)はなぜ、あんなに整備が進んでいるのでしょうか。思想が違うと言えば簡単なのかもしれませんが、住民が多国籍であるがゆえに、一度法律で厳格に規定した時に、住民がその法律に基づいてしっかり権利を主張して、それを実施するという責任意識が、政府行政関係者に強いのかもしれません。もしくは緊張感があるのでしょう。

 パリのトラムは、乗車賃だけでは経費の3割しかもたず、あとの7割は税金でまかなわれているのだそうです。公共交通が、マンションのエレベーターのように、インフラ(都市基盤)として公的に整備され、使いやすくなっているのです。

 アルザス地方、ストラスブールのトラムはもっとすばらしく、歩行者優先の思想が、しっかり根付いている印象を受けました。トランジットモールという言い方をするのですが、歩行者に続いてトラム、その次が自転車、最後にマイカーという優先順位が確立していると感じました。石畳の上を滑るように走るトラムは音も少なく、市民に親しまれた市民の足であると感じました。スピードは市街地ではかなり遅いのですが、頻繁に動いているため、ストレスを感じません。

 例えば「トリオ」というチケットは、3人で1日乗り放題というもので、5.5ユーロですから600円少し、一人当たり200円です。それが中心街には3分間隔で動いています。歴史的まちなみに違和感もなく、郊外に出れば芝生の上を走ります。

 日本の路面電車と異なるのは、床の低さ、音の静かさ、車両のきれいさ、走行頻度でしょうか。しかし何よりも、人を優先させて、公共交通を税金で対応するという思想は学ぶべきであると感じました。

 しかし、久保田もいろいろ考えました。多民族国家フランスの人権思想は、一方で犯罪の多さに対抗するものとして生まれたものかもしれません。規則を決めることで、自分たちに規制をかけて、守らなければ、国自身が成り立たなくなるような、そんな発想が根底にあって、それがトラムにも現れていると考えると、日本でトラムが普及するには、かなりの犠牲が必要なのかもしれません。

 土地の制度も日本と違うのかな。国や自治体が土地を所有する割合が高いのか、土地は財産ではなく、利用することに価値があるという考え方なのか。どなたか教えてください。

 我が国の話に戻りますが、堺市に計画されていたLRT(ライトレイルトランジット:トラムのことです)は市長が代わったため、中止になりました。しかし阪堺線という路面電車は、堺市が50億円を出資して存続を目指すことになりました。LRTの予定費用500億円に比べると安いと思います。

 阪堺線も、低床のトラムに置き換えて乗り易く、快適になれば、もっと利用者も増えるような気がします。もちろん交通規制も、自動車より優遇させる方策も併せて実施したいものです。ヒューマンな乗り物はほっとします。まずは存続が決まって一安心。

 久保田が住む宝塚でも、LRTが逆瀬川から宝塚まで、巡るようになり、駅前は自動車乗り入れ禁止にしてバリアフリーになればいいなと思います。中心市街地居住や観光開発も進めて、日常的に乗る人が増えるように戦略を立てなければなりませんが。それと、建物をつくるときに、例えば、そこで記念写真を撮りたくなるようにつくることを、多くの権利者の合意でルールを決めておく。などなど。

長々と思い込みがふくらんだところでおしまい。

ストラスブールのトラム
 ストラスブールのトラムです。低い床ときれいさで快適です。

ストラスブールトラム乗り場
 ストラスブールのトラムの乗り場です。床も低いのですが乗り場もバリアフリーです。

ストラスブールのトラムはまちの中心
 ストラスブールのまちの中心がトラムという雰囲気もします。生活の中心となる交通手段です。

ストラスブール郊外を走るトラム
 ストラスブール郊外を走るトラム。芝生もきれいに手入れされています。

阪堺線の乗り場
 大阪恵比寿町から堺を走る阪堺線です。存続が危ぶまれていましたが、堺市が50億円を出資するそうです。庶民の足です。

阪堺線乗り場から北を見る
 阪堺線乗り場から北をみます。

阪堺線の車両は床が高いです
 阪堺線の車両はかなり古くなっています。床も高いので、高齢者にはつらい気がします。でもヒューマンな感じはします。

阪堺線もヒューマンな感じ
 阪堺線の車両は個性的な絵が描かれています。しかしセンスは今一つかなあ。大阪市内はもう少し身近な雰囲気で、駅のホームに喫茶店があったりします。 
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禁酒
胃潰瘍かな 11月27日(土)記

 もう1週間経つのですが、11月20日に人間ドックに行ってきました。今回はなんと胃潰瘍がみつかり、1カ月間、アルコールと脂肪分や香辛料はとらないようにと言われて帰ってきました。

 大腸検診を一緒に申し込んでおり、水分を取る際に気持ち悪くなって、最後まで飲めなかったので、少し体調が悪いという気はしていたのですが、写真を見ると、胃腸の壁に白い穴があいて、赤い血が見えたので、なるほどと納得しました。

 ということでしばらく禁酒をして、辛い物を食べない生活をすることにしました。ピロリ菌の薬をこれから1カ月間飲むことになりそうです。いろいろあるわ。

P1020827.jpg
 秋、自宅裏の通称「どんぐり坂」は紅葉のさかりです。
--秋の日の ビオロンの 身にしみて ひたぶるに うらがなし--
 懐かしい詩を思い出したりします。
 今日は朝はコミュニティの会議。昼から上の子と孫と、しんせきのまさこさんと「ゆいちゃん」が来て、みんなで食事しました。
 感謝の1日です。


寝屋川点野のイチョウ祭り
寝屋川点野イチョウ祭り101123火 (11月25日記)

 恒例になった寝屋川点野(しめの)のイチョウ祭りは今年で4回目。年中行事として定着してきました。

 地元の方の発案により、近くの農業水路を自然型で整備して以来、茨田樋(まったのひ)遺跡水辺公園(昔の樋門跡を残した小公園)の市民工事による整備、国土交通省による淀川堤防スロープ、近隣のスーパー堤防の防災緑地と防災倉庫、河川レンジャーの活動拠点となる流域センターの整備など、周辺にさまざまな活動基盤が整ってきました。

 茨田の樋は、かつて淀川から農業用水や生活用水を引いていた場所です。それが昭和5年、枚方から毛馬に至る7カ所の樋門を集約し、この点野に置かれました。茨田郡であったことから茨田の樋と名付けられました。それでも水害の危険性が高まったこともあり、昭和40年代に幹線水路ができたことを契機にその役割を終えたのです。

 以来、この樋門跡は点野の集落の片隅で眠っていたのですが、地元の自治会の要望で、隣接する自然型の水路をみんなで整備したことで、樋門跡を公園にしようという雰囲気が高まり、行政の工事の他に、「市民工事」となうって、敷石、樋門の木製堰、階段、間知石(けんちいし)、木製橋、飛び石、ベンチ、植栽など、多くの工事を大工さんの指導のもと、実施しました。

 それが完成したのが2007年3月、その後当初のアイデアだったイチョウ祭りを実施しているわけです。
春は幹線水路を使った、花見のEボートクルーズも実施されています。摂南大学の学生さんが協力をしてくれています。今回も学生さんが活躍してくれました。

 ここにあるイチョウは、明治時代、堤防が国道1号線だったころ、川を行く船と堤防を行く人を監視した駐在所の隣に植えられたもので、目通り3.6m、高さ20mほどの大きなイチョウです。毎年多くのギンナンを実らせ、近隣の人が楽しんでいます。今年もねや川水辺クラブのメンバーが収穫し、地元の人がごはんを炊いてくれて、かつて淀川から用水を引いていた頃の暮らしに思いを馳せました。イベントなので、そこまでなかなか気持ちがいかない気もしますが、地元の方から、これまでの歴史を説明していただき、少しはこの場所の意義を感じていただけたと思います。

 中国からの研修生や、関係する団体からの参加も多く、点野小学校からのサツマイモや、研修団体からのギョウザなど、200名ほどの人数で盛況でした。水路に昔からあった植物の植え付けも実施しました(しかし近くの人はもちろん食い気優先です)。

 毎年夏に、河川レンジャーが主催する「淀川丸ごと体験会」という催しがあり、子どもたちに淀川をさまざまな角度から体験してもらっています。この点野はその体験場所のひとつにもなっています。これからも、まちづくりの拠点としてあり続けるのでしょう。

茨田樋遺跡水辺公園の全景
 茨田樋(まったのひ)遺跡水辺公園の全景です。奥は淀川の堤防です。手前右はウンリュウヤナギ。駅前のヤナギの子どもです。左奥が大イチョウです。

木造の落とし堰
 大工の棟梁渡辺さん作の木造の落とし堰です。かつての姿を取り戻しました。右奥に茨田樋の碑文があります。その奥が淀川堤防の階段とスロープです。

参加者212名
 たくさんの人が来ました。212名だそうです。昨年の2倍以上でした。

にぎわい
 こんな感じでにぎわっていました。久保田はギンナンごはんを食べそびれました。でもトン汁がおいしかったです。満足。

大イチョウ
 かつて警察署の隣に植えられたイチョウです。この植えられた場所の高さに国道1号線が通っていました。往来する船や、水門の監視をしていたのです。牢屋もあったそうです。

大イチョウに根っこができています
 イチョウは毎年おそらく1万個以上のギンナンをつけます。大量のギンナンは洗濯機で洗って種を取り出します。幹の途中から根っこが垂れ下がってきています。

Eボート体験も実施66名乗船
 摂南大学の学生さんが、今年もEボートを出してくれました。66名が乗船。中国人研修生の方たちも喜んでいました。
寝屋川エコフェスタ
寝屋川エコフェスタ 101121日

 11月21日の日曜日、恒例の寝屋川市エコフェスタに手伝いに行ってきました。今年はねや川水辺クラブのテント前は丸太切り、隣接する河川レンジャーのテント前は、タペストリーづくりとヨシ笛づくりのコーナーが出て、にぎわいが増しました。

 久保田はヨシ笛づくりの手伝いを9時から12時半まで実施。少し休憩して丸太切りにも加わりました。

 ヨシ笛はけっこう時間がかかりますが、子どもたちは音が出るとほんとにうれしそうです。その顔見たさに久保田もはりきったわけです。

 結局3時過まで目一杯子どもたちと付き合い、へとへとになって帰りました。でも子どもたちの笑顔を見ているとストレス解消にはなります。明日は3つの活動が重なる日です。無理しないでいきたいですが。

 ところで。パナソニックの写真機がまた壊れてしまったようです。昨年修理したのですが、もう6年以上たつので、限界かもしれません。よく使っているので。しかし痛いなあ。

水辺クラブブースの前です。
 ねや川水辺クラブのテントの前です。丸太切りのコーナーや活動展示をしています。駅前で使う炭を置いたのですが、持ち去る人が多く、困りました。きちんと説明をしなければなりません。

ヨシ笛づくりは大盛況
 河川レンジャーのテント前でヨシ笛づくりを指導しました。鳴るとうれしいです。子どもたちの笑顔がとてもよかったです。久保田いやされていました。




北浜テラス
北浜テラス101117水 (11月20日投稿)
 
 丸太切りと同じ17日、大阪市内北浜テラスの「てる坊」というお店で、NPO法人の事務局会議と懇親会を開きました。

 大阪はかつて水の都と言われていたのですが、今は見る影もないという意識が定着しています。水質は徐々にきれいになっているのですが、先入観がふっ切れていないのでしょうか。水を感じない都市の代表が大阪というアンケート結果もあると、どこかで聞いたことがあります。道頓堀に飛び込んだ話を聞くと、川が汚れたイメージは関西人の意識に染み込んでいるような気もします。

 しかし、夜の川はきれいです。光りに浮かぶさざ波は、昼間の喧噪と汚れを洗い流してくれるようです(詩人やなあ)。マスターのYさんは昔からの料理旅館の5代目(?)。昔の図面からつくった模型を見せて話をしてくれました。

 「明治3年、曾祖父が料理旅館を開いた。大おばあちゃんの日記には、天神浜に外輪船があったとの記述がある。八軒浜(はっけんはま)から小船にのりかえて各地に出かけていた。花外楼(かがいろう)で会議があった。(写真を見ながら)明治30年頃の川。新淀川はまだない。明治19年水害。大橋房太郎が活躍して現在の淀川ができた。明治44年、市電を通すために土地が削られ、まちなみがくずれた。3代目のわたしの祖父は、小林一三が箕面電鉄を引く時に、関わったらしい。京都大阪に外輪船が通っており、川から店にあがることができた。中之島はまだ浪速橋の西側までしかなかった。毛馬で水量調節が始まってから後は、水量も減り、造成して東側に剣先が張り出して、現在の中之島になった。

 この建物は平成16年整備。遊歩道を期待してテラス整備を考えた。天神まつりのときに足場をつくった。NPOの人と一緒に活動開始。実際のテラスは2009年水都大阪でつくった。残念ながら現在、天神祭の花火は見えない。
 
 大阪府から遊歩道整備の話がでた。ただし今のところ犬ばしりに人が通ることは、防犯上の問題などがある。嵐山で実施しているような感じで、テラスが続くのがよいと考えている。ステージにもなる。船を使って南北の動線ができるようにしたい。

 昔は浜崎ということで、自分の前の川を使っていた。桟橋ができるとよさそう。北浜は船場の北の浜。今後、桟橋ができることも期待している。1.8mの干満差がある。」(以上文責:久保田です)

 久保田も現在、大川に関連するワークショップをしているので、興味が尽きませんでした。現場で昔から活動している人の話をもっと聞かなければなりませぬ。
 ありがとうございました。

北浜テラスから天満橋方面をみます
 北浜テラスから天満橋方面(東)をみます。川に正面を向けると気持ちがよくなると思います。

テラス正面の中之島です
 北浜テラスから正面の中之島をみます。夜の川はきれいです。

テラスから大阪市役所方面をみます
 北浜テラスから大阪市役所方面(西)をみます。「悲しい色やね」が聞こえてきそうな気がしないかな。

大川堤防の両側に空間があります
 大川堤防の両側には空間があります。なんらかの活用も考えられそうですが。

100年以上も使われているという漆の食器です
 てる坊で使われている食器です。100年以上前のものらしいです。



丸太切り in 宝塚
丸太切り IN 宝塚 101117水 (11月20日投稿)

 11月17日朝、保育所に、丸太切りの講師ででかけました。先日14日、交野で切り出した丸太を持参して、まず紙芝居で山や木の役割を説明し、その後園庭に出て、保育士さんも加えて3人で教えながら、5才児と一緒に丸太を切りました。

 新しいヒノキは香りもよく、皮もめくることができます。めくった皮の中はすべすべで、さわるとみずみずしい感触を楽しむことができます。木は半分が水、半分が空気からできていると説明すると、園児たちは一同にびっくり。空気があんな固まりになることは想像しにくいものです。

 園庭には立派な畑もあり、自由な雰囲気でした。子ども達も人なつこく、おじさんはいやされました。ボランティアですが、精神的に落ち着きました。話は伝わったかなあ。

切った丸太を整理します
 切った丸太を子ども達専用の箱で整理します。
寝屋川源流の間伐と誕生会
間伐と誕生会 101114 101116記

 ねや川水辺クラブで実施している源流域の間伐は、既に8年ほど経過しています。以前は府営林だったものが、数年前に地元の森林組合に返還されています。しかしながら間伐を含めた整備作業が追いついていないこともあり、わたしたちの作業も、少しだけですが、森林の整備につながっているのだと思います。
 
 前回6月は雨のため中止になりましたが、今回は11月14日、交野市内、星田新池をさかのぼったいつもの場所で、20数名が参加してヒノキの間伐を実施しました。
 
 まず、簡単な説明を受けた後、現地まで到着し、初心者と中級者、上級者に分かれて、指導を受けながら、育ちにくそうな木などを選んで切ります。摂南大の学生さんは、池田小学校でベンチをつくるとかで、太いものを選んでいました。
 
 受け口をクサビ状に切ることや、追い口を水平に切ることも、けっこう難しいですが、なんとか午前中に各グループともに2~4本程度を切って昼食。つれあいは水辺クラブのおじさんと2人で切ったので、しんどかったそうです。昼食後も1~2本を切って、枝打ちにうつりました。久保田長女も枝打ちを試みていました。保育所の仕事で、丸太切りを実施するというので、細いものを数本いただいて帰りました。11月17日は娘の勤めている保育所、22日は安倉の保育所に行き、久保田が講師になって、園児に丸太切りを指導します。ヒノキのよい香りの木がとれてよかったです。

 誕生会というのは、娘2人の誕生月なので、親がごちそうしようと二人を誘ったのです。逆瀬川駅前の川上という小さな料理屋で、おまかせコースを注文し、日本酒を飲んで、最近の話題を一通りしゃべって終了。母親はちゃんと写真つきのプレゼント(おこずかい?)を準備していました。さすがやわ。家族が仲良く過ごせることはなによりです。皆に感謝して幸せな日が終わりました。また気合を入れておしごとだ。

山に入る前に説明をききます。
 山に入る前に説明を聞きます。ストレッチもします。

のこぎりなどを持って現地にのぼります
 森林組合の人工林へ向けて、15分ほど登ります。

現場で説明を再度ききます
 説明を現場で聞きます。初心者グループも真剣です。

受け口をクサビ型にきります。
 まず受け口をくさび型に切ります。こちらが切り倒す方向になります。

追い口を切ります
 追い口を水平に切ります。

倒れ始めました。ロープで倒す方向を誘導します。
 倒れはじめました。ロープで倒れる方向を誘導します。

倒れました。
 無事に倒れました。

枝打ちをします。
 倒れた後の枝打ちも大切です。本体は2~3mの長さに切って、水平方向に並べて道をつくります。

切る前です
 倒れる前です

切ったあとです。
 倒れた後です。あまりよくわかりませんが、空が広くなり、太陽が地面に届くようになります。

切った木を運びます
 切った木を運びます。今回はベンチ用に20センチものを3本切りました。

切り株です
 切り株です。20年ほど生きてきたヒノキです。

枝打ちです
 枝打ちをします。6mくらいの高さまで切ることができます。


ミヤマアカネ 封入
ミヤマアカネの封入 

 11月11日(木)、久保田が所属している「あかねちゃんクラブ」(正式名は「ミヤマアカネ生態研究会」)で、コミュニティの集会室ウエル西山をお借りして、昆虫のプラスティック封入標本づくりをしました。琥珀にはいっている化石のように、プラスティックに封入すれば、手で触れても作品がこわれることがありません。

 久保田は初めての取り組みでしたが、みなさんの協力を得てなんとか完成。1日水につけて、あとは1週間程度置いておきます。ミヤマアカネの楽しみが増えました。

足立先生の指導をうけます
 足立先生の指導をうけます。わくわくしています。

樹脂を数回に分けて流し込みます
 プラスチック樹脂に触媒を混ぜると、1時間程度で固まります。それを繰り返して昆虫をコーティングしていきます。

お気に入りの昆虫を持参して作成
 みなさん、持参した昆虫をていねいに置いていきます。

ラップで作業時間短縮
 ラップをつかうことでかなり時間が短縮されるそうです。ミヤマアカネとタマムシです(久保田の作品ではありませんが)。
寝屋川クリーンリバー
寝屋川クリーンリバー 2010年11月7日(日) 11月11日記
 
 寝屋川では毎年2回春と秋に市内10カ所以上でクリーンリバーの活動があります。寝屋川再生の取り組みは既に10年めになりますが、これまで、市民がつくった構想に沿って、寝屋川本川で2カ所の整備が完了するという成果が上がっています。

 なんと今年2010年には、その3番目になる川勝町という場所で大阪府による整備が進むこととなりました。2001年度にできた寝屋川再生の構想では、本川に4カ所の整備イメージを作成しましたが、なんとそのうち3カ所までが実現することになったわけです。高度成長期ならまだしも、今の時代に川の整備がこれだけ進むのは例がないかもしれません。

 もちろん、1番目の寝屋川市駅前は京阪の連続立体交差事業、2番目の幸町は大阪府警宿舎の建て替えという、関連する事業と一体化しているので、単独ではなかなか難しかったかもしれませんが、それでも行政がかなり市民の意向を反映して取り組んでいたことは評価したいです。一方で市民のほうも、クリーン作戦やエコフェスタでの展示、子どもたちの総合学習への協力、源流ハイキング、Eボートによる川下りなど、さまざまな取り組みを継続しており、そのことが行政の信頼を得ることにつながっていると思います。

 今回は寝屋川市駅前の清掃でしたが、50名程のメンバーが集まり、1時間半ほどの間に、180のゴミ袋が一杯になりました。駅前は最近、ゴミはめっきり減少し、むしろ草刈りが主なものになっています。この場所の他にもあわせて12カ所ほどの清掃が実施され、定着してきました。大阪電通大や府立高専、ヤクルトやトヨタなど、大学や企業の社会貢献という形の参加も増えています。なによりな流れだと思います。

 久保田はひざを痛めていることもあり、少しだけ水中で草引きをして、あとはゴミ袋を届けたり、草を引き上げたりしました。それにしても寝屋川市駅前の水辺は、ワークショップを開始した9年前のゴミの集積と比べて、格段にきれいになりました。日常の清掃活動も、ねや川水辺クラブが市役所から委託を受けて毎週4日、2名が1時間実施しており、そのこともあって美しい環境が守られています。多くの人に感謝です。

2003年の寝屋川市駅前
 2003年の寝屋川市駅前です。犬走りに下りる事ができませんでした。柳の木がシンボルになっています。

2010年11月7日の駅前
 2010年11月の寝屋川市駅前です。クリーンリバーの前です。うんりゅう柳は奥(上流)に移設してもらいました。

2年前の駅前わんどの様子
 駅前わんどの様子です。これは2年前です。

駅前せせらぎ公園の説明図
 駅前せせらぎ公園の説明看板です。市民がワークショップを重ねて実現したことが書かれています。

2010年9月に大雨で手すりが破損。修理後です。
 沈下橋(ちんかばし)です。雨が多い時は水に浸かります。時々手すりが壊れます。

草刈りが主体になっています。
 草刈りの風景です。上流から流れる下水処理場の排水と、淀川からの浄化用水をストップして水量を少なくして作業です。

草刈り後です。
 草刈りの後です。空石(からいし)積みの護岸のため、草刈りは欠かせません。これで生き物の多様性が確保されているのです。

雨が降るとわんどに砂がたまります。
 わんどには砂が山になっていました。雨が降るとどうしても砂がたまります。

残してもらった「うんりゅう柳」は元気です。
 うんりゅう柳は健在です。残してほしいという希望に市役所が応えてくれたのです。

ゴミ袋は180でも不足しました。
 ゴミ袋はほとんどが刈った草です。最近はゴミがかなり減りました。でも水辺クラブの人達が毎週清掃活動を続けています。
酒蔵見学
酒蔵見学101106土 11月7日(日)記

 義理の兄が酒造メーカーで酒をつくっています。11月6日(土)その蔵びらきというイベントに、連れ合いと上の子と3人で出掛けてきました。

 今年も酒蔵で酒造りの説明を聞きました。震災の前1994年にできたコンクリート5階建の大きな建物です。実は震災で大きな被害を受け、重要文化財の蔵が倒壊し、杜氏さんが一人亡くなるという出来事があったのです。その際、この新築間もない蔵だけが辛うじて残り、酒造りを続けることができたことが不幸中の幸いだったともいえます。現在は日本酒の消費量が減り続ける中、多角経営でやりくりしているようです。

 酒造りの工程は、当初コンピューター制御ですべてしていたのですが、やはりうまくいかないところがでてきて、結局温度変化の大切なところは人間の手ですることになったそうです。

 その年の気候によって、米も違うし、造る工程も微妙に変わるのです。今年は気温が高くなり、田植えを1カ月遅らせたそうです。山田錦というお米は中身の芯白(米粒の中央部の中身)が柔らかく、食用には向かない。外側の固いところを削ぎ落として、最大35%まで削り、その35%を利用して造るのが大吟醸など、解説がありました。
 
 大吟醸の場合は水を含み過ぎてもよくないので、30秒洗って8分水に浸ける。微妙な時間に配慮する。酵母は1CCに2億ある。蒸し米と麹と酵母を混ぜて発酵させる。最近は乳酸をいれて失敗しないようにしている。すっぱくすると雑菌が入りにくい。など、工程を一通り解説していただき、50ミリリットル600円という大吟醸の試飲をしました。たしかにまろやかで口当たりもよく、違いはわかります。一升瓶で2万円なり。レストランではグラス一杯七千円で出すそうです。うう。ぜいたくしてしまった。しかし一升瓶はとても買えません。

 見学のあと、隣にあるレストランで食事。満足して3人で機嫌よく帰ってきました。上の子は久保田の最寄駅から1駅離れたところに住み、主婦をしながら働いていますが、土曜もほとんど休めないので、時々こんな骨休めを提供させてもらっています。また明日から慌ただしい日々の始まりだ。

酒蔵
 酒蔵です。震災の前の年にできたので、被害が少なかったようです。

記念写真
 家族で嬉しがって記念写真をとりました。


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