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久保田洋一のブログ
いつもどおりですが、気まぐれに書いていきます。2009年10月1日からfc2で再開しました。
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ワークショップ5連発
ワークショップ5連発
 23日の土曜日から25日の月曜日にかけて、5回の住民参加の取り組みに参加しました。

 23日(土)午前は大阪市内のまちの、ステキ発見講座という取り組みの発表会。マップ講座、ブログ講座、イベント講座という3つの講座の参加者が発表し合いました。相互に関連する可能性があり、期待が持てます。

 23日午後はA市の環境塾の講師。これは環境活動を進めるためのワークショップです。自主性をいかに引き出すかが久保田の役割だと考えていましたが、課題把握をして「半歩」前進という感じ。しかしこの半歩の前進が大切だと思っています。ちょっとづつ無理なく進むのが住民参加の極意です。

 24日(日)は淡路島のまち歩きへ。25名ほどの方々とまちを歩いて記録をつくりました。普通の住宅地であっても、歴史もあり、細い路地で魅力的な場所もあります。1軒1軒の家が敷き際に工夫をこらして、緑や花を植えていたり、木造の土蔵があったりと、どうしても旧集落の方が魅力があります。ほこらがあると死者の存在を感じますし、古い住宅に落ち着きを覚えます。地域を流れる千草川という川が、平成16(2004)年の23号台風の豪雨で被害を受け、災害対策で川を掘削したため、井戸が涸れたそうです。地下の水脈が切れたらしいのですが、対策が必要だと感じました。あと2回のワークをして、まちづくりの一定の方向性が出せればと考えています。行き帰りのバスの中では別の報告書の原稿を書いて、ぐったりして帰宅しました。

 25日は朝早くから夜の会議のための原稿作成と印刷。あわてて午後1番の、K市の住民会議へ直行。まちづくりフォーラムを市民の手づくりで行なおうと、役所も支援をしてくれて、自由な取り組みになりそうです。久保田も演劇の中で一人の客になる予定。メンバーが明るく、前向きでとてもいい感じです。わくわくしています。

 25日の夜は大阪市内の住民会議。これも住民活動を役所が支援をする方式です。かなり自主的な活動が盛り上がっており、行動力のある成熟した男女がわきあいあいと会議をします。久保田は全体会議の進行をしますが、後半は自主的に分かれて会議をします。半歩というよりは、5歩も10歩も進んでいます。地域の連合会の活動ともつながりがあり、何よりだと感じています。

 ということで、ワークショップ5連発は無事終了して深夜帰宅。条件反射的に洗い物をして、下の娘を迎えに行き、リンゴとバナナヨーグルトをつくり、「おーいできた」と、つまみ食いしつつ、家族に配り、パソコンでメールをチェック。そのうち失神状態で、気が付いたら火曜日の朝になりました。

 どうも日記は自己弁護とか、自分を認めてほしいという甘えの構造が伺えますね。家族皆くたびれても、感謝を忘れずにいきたいのだけど。
 そうそう、今朝、娘が洗濯物を干してくれたお礼を、忘れずに言おう。
 
 思い出しましたが、仲間のNさんに、十三ファンダンゴのライブはしないのかと聞いたら、今は休眠状態だとのこと。再開を気長に待つとします。
 本日もブログ原稿は電車の中。このパターンは続きそうです。おしまい。


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震災から15年 記憶の片隅から
 阪神淡路大震災から今日で15年。昨日放送された、神戸新聞の15年前を描いたテレビ番組は、見ごたえがありました。 

 久保田はここ宝塚の自宅で被災。当日のことはよく覚えています。

 電球が左右に大きく揺れながら、ショートしたように光って、消えました。玄関に逃げ、しばらく様子を見て、寒い中マッチを探し、懐中電灯をみつけてみると、隣の部屋は本棚やテレビが倒れて、足の踏み場もありませんでした。台所はガラスが割れて危険な状況でした。
 寒い。家の壁がなくなっており、外気がすーすーと入り込んできます。
 ふと気がつくと、部屋にいるはずの犬がいません。血の気が引きました。犬の名前を呼び、探すと庭にうずくまっていました。ほっとしました。
 玄関から外にでると、ガスのにおいがします。東隣の加藤さんの息子さんに懐中電灯を貸して、ガスを確認してもらいました。

 またふと気がつくと、西隣の大島さんの声がしません。また血の気が引きました。「大島さーん」と大声で声をかけると、「はーい」と蚊の鳴くような声。大丈夫だったようです。後から聞くと失神していたとのこと。大事なくよかったです。1日で2回もぞっとした経験は、今のところこれが最初で最後です。

 加藤さんの奥さんが大きな声で、「壁が無いのよ」と叫んでいました。久保田のつれあいが「大丈夫ですよ。うちもですから」と声をかけていました。なぐさめになっていないのですが。

 それから数カ月の間、水道が出るまでと、ガスが出るまで、かなり不便な生活が続くことになるのですが、次の日から家の修理をして、近くのつれあいの実家で1週間ほどお世話になりつつ、周りの家の応急危険度を、勝手に声をかけて見て回りました。

 そのうちの1軒が、たまたままちづくり協議会の会長さんの家だったこともあり、誘われてコミュニティの活動に参加することになったことは、まちづくりの現場ででよく話しています。2日後の1月19日が、京都の改良事業の仕事にかかる最初の委員会だったのですが、欠席せざるをえませんでした。

 1週間後には仕事に復帰。阪急電車がとまっていたので、JRに乗り、通勤しました。
 家が壊れたままで心落ち着かない日々がそれから半年続くことになりました。
 この話はまた続くかも。。。





手塚治虫記念館
 宝塚に住んで全部で20年ほどになりますが、1月9日(土)初めて手塚治虫記念館にいきました。家から歩いて25分程度ですので、散歩気分で無理なく行くことができます。

 手塚治虫さんの作品で覚えているのが「ゼロマン」。これは久保田が小学校2年生の時に、少年サンデーで読んでいたものです。リスのような尻尾をもった少年が人間と付き合う話なのですが、ちゃんとありました。しかし1年半程度しか連載されていなかったようです。あんなに長く感じられたゼロマンが、1年半ほどしか続いていなかったことは不思議でした。小さいときは時間の流れも、長く、遅いようです。

 今回初めて知ったことは「クレオパトラ」。これは1970年のアニメ作品ですが、高校3年の運動会か文化祭の時に、大きなベニヤ板を張り合わせてクラスの仲間と絵を描いたのです。それがこのクレオパトラだと初めて知りました。というか、すっかり忘れていました。そうだったのか。当時はいやらしい気持はなかったのですが(たぶん)、考えてみると先生たちも嬉しがっていたなと思い出しました。上半身裸の肌の色を、薄いとか濃いとか、結構真剣に議論していたのです。まあまあ。
 今描けと言われても、久保田は今、当時の先生たちの年代ですから、隠れて嬉しがることになりますわ(笑)。

 ちなみに、宝塚歌劇は1982年、「夜明けの序曲」という作品を見たのが唯一です。実は久保田の連れ合いも、当時その夜明けの序曲をみていたらしく、それが唯一だそうです。近くにいてもなかなか行かないものです。

 9日は武庫川沿いや、裏道を歩きまわって帰宅。
 武庫川をいかしてまちづくりに潤いを出したいね、などと知り合いと話をしており、そのうち市長にも提案しようかと考えています。宝塚から宝塚南口を経て逆瀬川に至る周辺は、こだわりのあるお店も多く、宝塚音楽回廊で回ったりしていますが、最近はあまり余裕がありません。

 ということで、こうして昔話が増えていくのかなあ、と、感謝の1日は過ぎていきました(1月11日深夜記)。

 
歌に再度挑戦しました
 2010年1月9日(土)久しぶりに書いています。今年もよろしくお願いします。
再度音楽をアップしました。「未来へ」と「王様と9人の兄弟」です。「王様と9人の兄弟」は同名の絵本の内容を歌にしたものです。1992年2月2日に、保育所で歌うからとのことで、つくりました。
 「未来へ」は、昨年アップしたものが、音割れのため聞きにくかったので、再度挑戦したものです。
 恥ずかしげもなく、どうぞ。





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