無料レンタルサーバー
久保田洋一のブログ
いつもどおりですが、気まぐれに書いていきます。2009年10月1日からfc2で再開しました。
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

ミヤマアカネマーキング調査in西山小学校
 2009年10月29日(木)午後、小学校で実施するミヤマアカネのマーキング調査に参加しました。毎年小学4年生が総合学習で取り組んでおり、今年はインフルエンザや台風の影響で延期が続いていましたが、ようやく実施できたのです。
 今年は個体数が少ないようです。3クラスごとに分かれて、久保田の受け持ったクラスは、堰堤23番という場所で探したところ2匹、下の20番まで降りてまた2匹、再捕獲が1匹、合計5匹でした。全体でも50匹弱だったようです。夏には網を一振りすると3匹とれたこともあったのです。いったいどこへ行ったのだろう?
 うれしいニュースですが、今年も逆瀬川駅前でマーキングされた個体が、池田まで飛んで行って、そこでメスと交尾していたのです。毎年遠出する個体がいるということも不思議なことです。
 今日は堰堤の壁に小さな蛇(長さ40センチほどのシマヘビ)がおり、捕まえて子ども達に説明しました。さわったことが無い子どもも多かったようです。何事も体験。「山が海を育てる」とかいう説明も、これからしていきたいです。
 近くに環境を感じ、考える場所があるということは幸せなことです。今日もまた感謝でおやすみなさい。
スポンサーサイト
巨木の旅 鞍馬山編
 2009年10月10日(土)鞍馬山へ行きました。9:43宝塚発、10:26京橋発の京阪特急に乗り、11:30出町柳発の叡山電鉄に乗り換えて貴船口11:55着。12:00発のバスで貴船神社まで行き、昼食を食べて奥まで歩き、うっそうとした杉林を感じてきました。
 鞍馬までは山道です。1時間以上かかってゆっくり歩きました。杉の根が知られる「木の根道」は頂上近くの一部だけでした。25年以上前に来たときは、根っこが不思議な感じでしたが、結構知られていると知ったのは後の事です。山はきれいに手入れされ、守られている印象を受けました。それほど観光客もおらず、落ち着いた雰囲気を楽しんできました。

貴船相生の杉
 貴船神社近くの「相生の杉」はとても立派でした。

相生の杉を見上げます

相生の杉を見上げます。

木の根道をいきます
 貴船から鞍馬まで山道を行きます。木の根道は頂上付近だけです。写真を撮りに来る人が多いようです。

杉の林で天狗の真似
 杉の林で天狗の真似をしました。今回も感謝で終了。
 

 
「紙風船」と「未来へ」をアップロードしました。
2009年10月22日(木)パソコンスクールにて、音楽をアップロードしました。練習もなく、荒削りなものになっています。ここからもアクセスできるようにしてみました。
歌詞は以前のgooのブログにアクセスしてみてください。8月30日と8月13日に載っています。アドレスは
http://blog.goo.ne.jp/machi_1952  です。 
録音は2曲あり、「紙風船」(2009年8月30日)と「未来へ」(2009年8月13日)です。
歌をうたうのは気持ちいいです。もっと練習が必要なのでしょうが、そのうちに。
聞き苦しいところはご容赦ください。では(10月25日一部変更しています)。
読書室 ミミズと河童のよみがえり
読書室 ミミズと河童のよみがえり 091021水

 広松伝(ひろまつつたえ)さんは、2002年5月15日、敗血症のため64歳で亡くなりました。広松さんは福岡県柳川市の職員として、下水道整備の担当係長に異動した際、埋め立てを基本とした下水道整備計画に疑問を持ち、自ら掘割を守るために活動した人として知られています。現在、柳川は川下りで知られ、多くの観光客を受け入れています。

 ミミズと河童のよみがえりは、講演会の記録を中心としてまとめられたものです。広松さんの活動の経緯と、掘割の役割と、それを作ってきた先人たちの知恵を知るために最適な冊子となっています。
自ら掘割のヘドロの中に入り、清掃活動の後で電車に乗ると乗客が離れていったこととか、毎日のように地域の会議に出かけて、掘割の重要性を伝えたり、すごい活動をした人がいるものだと感じます。

 久保田が別の市役所の仕事で柳川市へでかけて、話を聞こうとした際は、本人は担当が違うとのことで会うことができませんでした。本人に連絡をとると、直接私に電話してくださいとのこと。市役所の中でも微妙な立場があるのだと申し訳ない気分になりました。その後別の仕事で関西に招いて話を聞いた時は、感動の雰囲気で会場が一杯になりました。体験に裏打ちされた活動が、多くの市民の行動につながっていったのです。

 以来、全国水環境交流会、震災後の大和川クルーズ、川の日ワークショップなど、さまざまな川に関するイベントでお会いすることも増え、川を守るリーダーとして、活躍の真っ最中の突然の死去。その後、川の日ワークショップでは「広松伝賞」というものが作られるなど、その功績は多くの人々に認知されています。

 身なりをきちんとされる方でした。フットワークも軽い方でした。資料もたくさん送っていただきました。淡々とした語り口がまだ記憶に残っています。柳川市内のウナギ屋さんで話をうかがったことも、久保田の大切な思い出です。
 宮崎駿・高畑勲監督の「柳川掘割物語」は広松さんの活動の成果ともいえるでしょう。掘割の文化や歴史、重要性を伝えつつ、人々の記憶に残る映像となっています。

 知人のUさんが数年前、川の日ワークショップで、この広松伝賞を受けられました。情報提供者の一人として、広松さんの思いを伝えることができたような気もしています。


読書室 ものぐさ精神分析
読書室 ものぐさ精神分析(岸田秀)

 読書室を始めることにしました。第1号は「ものぐさ精神分析」です。
 
 私の勤めていた会社が倒産したのは1983年。当時所員組合の活動をしていましたが、社内の組合ですから力もなく、情報力もなく、会社の経営状況を把握することもできませんでした。でもメンバーを通じて労働組合に相談して、職場を守る方法や、管財人との交渉、銀行との交渉など、行動のあり方を教えてもらいました。労働組合に助けてもらわなければ会社の再建もなかったでしょうし、「働く人が元気で団結していれば会社は無くならない」ということも知ることはなかったと思います。

 さまざまな価値観が変わって、社会の動きに違和感を感じるようにもなりました。しばらくの間、職場で交替の泊まり込みをしていましたが、ビルを出ると周りの人が皆、自分を襲ってくる敵に見えて、いつも周りを気にして緊張していたことも思い出します。

 会社は結局8名で再建。その頃、そのメンバーで読書会をしたり、手書きの社内報で感想文を書いたりしていました。その中の1冊が「ものぐさ精神分析」でした。
 以前読んだ時には、ほとんど気にもとめず、途中でやめていたのですが、会社の再建後に読んだ時に、一番衝撃をうけました。いわく「母は私を愛していない」、「人間は本能の壊れた動物であるがゆえに、本能で生きていくことができない。生きていくために脳を発達させた(私の意訳です)」、「人間の活動の原点は劣等感と嫉妬である」などなど。

 自分は人の前にでるとなぜ緊張するのか、成功する人を見ると喜ぶ反面、ねたましく思うのはなぜか、思い当たることが、すべて納得できるような気がしました。
 その頃、おぼろげながら出した結論は「自分は自分の能力以上のことはできない」「自分を良くみせようとしても無理」「毎日新しい気持ちで行動しなければいけない」などなど。でも25年以上も経過した今でも、人前ではいつも緊張しています。

 ちなみに、諏訪中央病院名誉院長、鎌田實先生の「がんばらないけど、あきらめない」。この言葉も好きです。
 ということで、ワークショップを仕事にしている身としては、「毎日が初舞台」という気持ちを忘れないようにしなければなりません。しかし、ものぐさな自分には、まだまだ難しいことです。とりとめなくオシマイ(10月13日)。


今井町を訪問しました
 10月15日(木)、K市のまちの計画づくりをする夢づくり会議のメンバーで、奈良県橿原市の今井町を訪問しました。夢づくり会議では、まちのホスピタリティ(もてなしの心)を高めるために、自分たちがまちの歴史や資源を把握して、来訪者に、まちを案内するガイドとして活動することができないだろうかとう問題意識がありました。そこで訪問してお話をうかがうことになりました。以下は、橿原市ボランティアガイド 会長木村さん、当日ガイドの中村さんのお話を概略まとめたものです。

◆平成6年から橿原市がガイド養成講座を開設。平成7年からガイドを開始。現在は観光協会が、10回の講座と数回の現地講習を実施。現在までに4回の講座を実施。登録は41人。
 橿原市観光協会が窓口。一応独立組織。今井町ガイドが8割拡声器を使えないので、ガイド1人に対して客は20人が限度。
 出番は、阪急交通社などから連絡を受けて対応。平日の客が比較的多い。個人での申し込みもある。
 一昨年、テレビ東京が「なつかしい風景の残るまち」という特集で日本の70のまちから選んだが、今井町が第1位になった(第2位は白川郷)。その後客が急増した。テレビの影響は大きい。
 客が少ないまちの場合は、ガイドの実践ができないため、実績を上げるのはたいへん。一定の客が来ると、現場に出ることで学ぶ。しゃべるから覚える。

◆県内でボランティアガイドが充実している順位は、
①奈良市、②法隆寺、③飛鳥、④今井町 の順
 頑張っているところは高取町土佐地区。3月のひなまつりをテーマとしたイベントが好評で、遠くからも客がくる。
 今井町は平成6年度、国の伝統的建造物群保存地区に指定された。以来建物正面の改修は伝統様式で実施。無電柱化も徐々に進んでいる。しかし、町並み保存会という名称からもわかるように、住民活動は町並みの保存が中心。それが素朴で良い側面もある。
 江戸時代には4200人の人口があったらしい。徳川家の庇護をうけつつ、税金は多く払っていたが、商人が多く住み、大和の金の7割が集まったといわれる。
 今西家は約360年前の建築。昭和29年、東大教授関野貞の弟子が調査を行ない、民家として価値があるとの評価を得て、昭和32年、重要文化財として指定され、国、県、市がお金を出して整備された。現在今井町には重要文化財として6軒の民家と、1件の寺院、合計7軒がある。こんなに集中しているところは少ないはず。まちが成立してから今まで400年以上火事がないことにもよるだろう。火事がないのは、オクド(へっつい)で火を使い、囲炉裏を禁じていたことも理由だろう。

 そのほか、歩きながらまちのお話をうかがいました。食事はまちの中にある「ふるい」さんという食堂の中庭でいただきました。好評でした。

 お話から、K市でガイドを実施する可能性については、①拠点となるものが一つ必要、②ソフト対策が重要(まち全体のもてなしの心ということでしょうか)、といった感想を持ちました。
 久保田が思い出すことといえば、例えば滋賀県高月町の外国語表示、水辺の環境整備。大阪市平野区の地域独自の登録文化財(国の制度にのらないもの)などですが、これまでに蓄積されたものを活用して、将来に残していくことも大切なことのように思えました。小さな地区計画区域の指定なども、もしかしたら資源になりえるかもしれないです。古い町並みや風景を大切にしたいものです。
 地域検定、○○学などといった、地域のことを知る取り組みも、きっと将来につながるのではないでしょうか。時間がかかっても、一歩一歩です。前向きにあきらめずに進むしかありません。

 今日は堅い話になりました。悩みは尽きません。お世話になったみなさん、ありがとうございました。

交流センター華甍
◆今井町の解説がある、交流センター「華甍」。ここからスタートです。

無電柱化が進みます
◆まちは無電柱化が進みつつあります。ごみがありません。

民家の格子とでまど
◆民家の格子戸と出窓です。家の中からまちを眺めることができます。馬をつないだ環がみえます。

称念寺本堂
◆称念寺本堂。老朽化していますが、文化財指定がされたことで修復が予定されているようです。

今西家公開10月15日から
◆今西家住宅。ちょうど10月15日から一般公開されました。今井町第1号の重要文化財です。

今西家の牢屋
◆今西家住宅の「牢屋」(はしごの上)です。厳しい世界もあったようです。

昼食はふるいさんの中庭で
◆昼食はまちなかの食堂「ふるい」さんの中庭でとりました。みな大満足。

短大の学生さんが絵をまちに展示◆久米寺駅近くの短大の学生さんが絵を描いて、まちのあちこちで展示していました。生きた展示です。

木村さんにお話を聞く
◆ガイドの木村さんにお話を聞く。勉強になりました。やはり現地で体験し、そこで話を聞くと、具体的なイメージが実感できます。

重要文化財の河合家は現役の造り酒屋さん
◆最後に訪問した河合家住宅。現役の造り酒屋さんです。杉だまが目印です。この建物も重要文化財です。













大和川水辺の楽校に参加してきました
 10月12日(月)体育の日、大和川水辺の楽校に参加してきました
 ここ数年、摂南大学のS先生が推進している、流域ネットワークの取り組みが広がりつつあり、昨2008年から大和川市民ネットワークの活動が始まりました。
 大和川は、江戸時代1704年に、中甚兵衛さんという方を中心として、現在の大阪府柏原市付近から堺市方面に新たな流路をつくるという、大工事を1年で完成させました。それまでは上町台地の東側、昔の河内湖に流れ込み、それが現在の大川などを経て大阪湾へ流れていたのですから、現在の大阪市周辺の一帯は、水害の常習地帯であったことが想像できます。ちなみに、淀川の改修(1909年に現在の新淀川完成)は、それから200年を待たなければなりませんでした。
 水害被害の減少、新田開発といったプラスの側面だけでなく、今まで上流へ流れていた河川は大和川でせき止められた形になり、その付近の水害の危険性が高まったことや、堺港が埋まりやすくなったなどのマイナスの側面もあるようですが、多くの人々はよかったと受け止めていたのだろうと感じています。
 10月12日(月。体育の日)は、南海高野線百舌鳥八幡駅で下車、以前取り組んでいた芦屋ケ池水路を見学。芦ケ池の井戸は草に覆われて見えませんでしたが、堺市立高校隣の水路は、こじんまりと快適な雰囲気になっていました。高校の建築学科の生徒さんが頑張っている様子でうれしかったです。
 その後、浅香山駅に戻り、歩いて大和川へ。今年2009年8月1日、大和川水辺の楽校が開設したところです。まず地域の若者による太鼓演奏と歌があり、その後、水質と透明度の調査、投網による魚捕獲と谷先生による生き物の説明、Eボート乗船体験という3つのコーナーの出し物がありました。
 3つのコーナーが終了した後は、「井真成(いのまなり)」をテーマとした紙芝居。この方は、遣唐使として今の中国に渡り、すぐれた活動をしていたらしいのですが、病気で亡くなったという人です。チョウチョがでてきて、井真成の代わりに日本へ帰ってきたという話になっていました。
 イベントの最後に河川敷の清掃をして終了。大和川河川事務所の所長さんも来ていました。大和川は昨2008年、BODは3.7(mg/L)だったとのこと。次第に水質も改善しているようです。これからもネットワークが広がればなによりだと思います。大和川市民ネットワークで活動するTさん夫婦も、昨日の御堂筋KAPPOに引き続き参加。ありがとうございました。

大和川全景
●大和川全景。南海高野線から東をみます。台風の影響か、砂がたくさんたまっていました。

芦笛づくり
●子ども達に芦笛づくりを教えています。簡単に鳴ります。

Eボート
●学生さんが運営するEボート。流れがあるため、子ども達の力では動きません。学生さんが押しています。

投網
●投網をうちます。モクズガニの子どもがとれただけでした。Eボートも動いているし、隠れるところもないので、魚をとるのはむずかしいです。

谷先生の話
●谷先生に話をききます。カニやエビの生殖器は2対だそうです。知りませんでした。





御堂筋かっぽ
御堂筋KAPPO(かっぽ)に参加してきました。
 10月11日(日)、久保田が継続して関わっている、ねや川水辺クラブが、大阪21世紀協会(?)から依頼を受け、御堂筋KAPPOに出展してきました。10時半に地下鉄淀屋橋駅近くのガスビル付近に集合。
 水辺クラブの主要メンバーは河川レンジャーの点野の取り組みがあるため、寝屋川のパネルは久保田が手持ちで8枚持参しました。当日準備はYさんと久保田の2人で対応。八尾のアクアフレンズのMさん、高槻の芥川クラブの方、大阪府から大阪水辺の発表会の展示など、テント2つ(3.6×3.6M)を4グループで共有して、パネルやチラシを置きました。

 11時から御堂筋を通行止めにして設営開始。NPO展示は11時40分からになったため、12時の開演には間に合わず、準備は12時10分過ぎまでかかりました。寝屋川のチラシを200枚準備。その他のチラシを一緒に配布しました。寝屋川から来ている人も時々おられて、写真を見て「この小学校を卒業しました」「川掃除してます」といった人もおられてうれしかったです。しかし水辺クラブを知っている人は、多くないようです。やはり広報をいろいろな方面からする必要がありそうです。

 途中から、河川レンジャーの仕事を終えたメンバーが合流。「寝屋川の人いませんかー」「きれいになった寝屋川。アユもとれました」などと呼び込み。何人かは立ちよってくれました。呼び込みも口コミ的な要素が必要なようです。城北川の取り組みに参加しているH先生が「さんしん」を3000円で買ったとみせてくれました。欲しい!
 御堂筋の通行止めは、御堂筋パレードを引き継いだこのKAPPOと、冬に行なわれる大阪女子マラソンくらいですから珍しいものです。ということで寝屋川のSさんは帰り道に道路で記念撮影。結局200枚のチラシは全部なくなりました。まずはまた一歩です。
 摂南大学のKさん、大阪ガスのMさん、水辺クラブのSさん、Tさん、Uさん、KIDSのMさん、そして久保田つれあいとその友人のSさん、ありがとうございました。
通行止めの御堂筋
■御堂筋を通行止めにするととても快適な雰囲気です。信号機が消えています。

たくさんの人が通ります
■人がたくさん通ります。こんな感じのテントです。

展示の様子
■テント内部の展示の様子。900角のパネル5枚、900×600のパネル3枚などを展示しました。


寝屋川の活動
 2000(平成12)年9月8日、京都府八幡市で行なわれた、「川に学ぶシンポジウムin近畿」の事務局をしたことが契機となり、一級河川寝屋川の再生にかかわることになりました。2001年から始まった活動ですが、行政が開催する「寝屋川再生ワークショップ」の参加者の有志が集まって「ねや川水辺クラブ」という、任意の団体が生まれました。
 せっかくだからと2002年、毎年東京で行なわれている「川の日ワークショップ」に行こうとメンバーに声をかけ、参加することになり、なんとその時に、「グランプリ」をいただきました。以来、数回の参加をして、賞も何回かいただき、いわば常連のようになっています。ワークショップの企画・運営をしていて、ほんとに良かったと感じています。
 ポスター展示をするので、いつもその原案の作成をしています。2006年に再度グランプリをいただいたのに引き続き、2007年にも準グランプリをいただきました。その2年分のポスターをごらんください(なお、「川の日ワークショップ」は、2008年から「いい川・いい川づくりワークショップ」という名称に変更しています)。

寝屋川紙芝居06-01
◆2006年ポスター1枚目です。4枚セットでB2版になっています。この前の2005年、クリーン作戦をしていた際に、中国人の研修生の方が手づかみでアユを捕まえました。

寝屋川紙芝居06-02
◆2006年ポスター2枚目です。クリーンリバー作戦が定着してきました。

寝屋川紙芝居06-03
◆2006年ポスター3枚目です。淀川に近い点野(しめの)というところで、昔の樋門跡周辺の水辺公園づくりを開始しました。

寝屋川紙芝居06-04
◆2006年ポスター4枚目です。幸町の河川公園づくりで、小学校3年生全クラスを対象とした体育館でのワークショップは壮観でした。

以下は、2007年に提出したポスターです。



寝屋川紙芝居07-01
■2007年ポスター1枚目です。2006年から2007年にかけて、寝屋川再生ワークショップのメンバーとねや川水辺クラブのメンバーが、「市民工事」ともいえる工事を自分たちでやりとげました。

寝屋川紙芝居07-02
■2007年ポスター2枚目です。遺跡水辺公園の整備の数年前に、地元の方からの要請で、農業水路の自然護岸型整備にも取り組み、隣を流れる幹線水路では摂南大学の学生さんにEボートによる川下りをしていただきました。大イチョウの大木の下でイチョウ祭も始まっています。

寝屋川紙芝居07-03
■2007年ポスター3枚目です。分かりにくいですが、ピンクの枠が市民工事の分です。飛び石も自分たちで名張から運んできました。大工の渡辺棟梁に指導していただくことで実現しました。

寝屋川紙芝居07-04
■2007年ポスター4枚目です。様々な人がこの公園づくりに関わりました。小さな公園ですが、たくさんの市民の思いがこもった場所になっています。命名は「茨田樋(まったひ)遺跡水辺公園」です。
完成は2007年4月。この2年後、2009年4月には「幸町公園」が開設しています。






まちのルール
 3年ほど前に、自分の住む地域で「まちのルール」をつくろうと、まちづくりルール検討委員会というものに参加しました。以来、委員による検討会、2回にわたる全権利者のアンケート、自治会班長会議や組長会議、共同住宅所有者との話し合い、住民説明会などを経て、今年2009年9月30日付けで、3つのルールが適用されることになりました。
 「地区計画」「景観形成地区」「まちづくりルール」の3つです。それぞれ担当する範囲が違いますし、制限の度合いも違うのですが、土地の細分化防止とか、緑の確保とか、住環境を守るために、一定の枠をはめることになりました。
 範囲は自治会の区域と同じですが、世帯数は自治会加入で約1200世帯、未加入世帯と不在地主を加えると1500世帯になります。市役所の担当者やコンサルタントの方々にも、とてもお世話になりました。様々な場所で情報を公開し、民主的な活動をしてきたとは思うのですが、ルールに反対する人も、もちろんいましたから、その方々がどの程度納得していただいているかどうか、心残りはあります。駆け込みの申請などもあり、残念な思いをすることもありますが、それでも、自分たちで、まちのあり方を考える、よい機会になっただろうとは思います。
 これから市役所による建築条例の施行も予定されています。それで一つの取り組みが一段落します。多くの人に感謝したいです。ありがとうございました。


プロフィール

kubotan2009

Author:kubotan2009
FC2ブログへようこそ!



最新記事



最新コメント



最新トラックバック



月別アーカイブ



カテゴリ



FC2カウンター



検索フォーム



RSSリンクの表示



リンク

このブログをリンクに追加する



ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる



QRコード

QRコード





上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。